習慣化は難しい

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会社を辞めてニートになる!

そういう訳ではありません(笑)
日本人である以上、みんな学生時代を過ごして社会に出るという道は必ず通ると思います。
その社会というとても広い枠組みの中で、どのタイミングでどういう仕事に就くかは本当十人十色です。
これからちょっと自分の歴史を語りますが、独立してよかったなと帝塚は思っています。
但し、会社勤めを経験していたからこそという前提があっての事です。

帝塚は今までどんな社会人経験をしてきたのか

帝塚が社会人になるにあたり、初めて就職活動を行い始めたのは大学4回生の夏直前頃だったと記憶しています。
正直めちゃくちゃ遅い就職活動でした。勿論、最初から独立・起業を考えていたから遅かったという訳ではありません。

新卒で憧れのアパレル会社に

最初についた職業はアパレル関係。
大手企業の子会社に属して各地にあるショップへ配属された後接客販売に従事するという感じでした。
入社直前まですごく張りきっていた事を思い出します。高校生の頃からアルバイトをしていましたし働くという事に対して特に腰が引けたりなんかはしていませんでした。
が、そんな帝塚のやる気も一撃で粉砕されることとなりました。それは、配属先が私の好きかつ得意な服装のジャンルとは全く違うジャンルの店舗への配属・・・。わかりやすく言うなら、ハイファッションやmodepress等のラグジュアリー系、JJやVivi、Camcan等の赤文字系雑誌を読んでいた人間が、ある日突然Soupやminaのような青文字系に配属されたわけです。
当時、帝塚はカジュアルな服装が大嫌いでした、正直ダサイと思っていました。なので、もうテンションだだ下がり。勿論、仕事なのでやるべき事と結果は出すようにしていましたが苦痛以外の何物でもありませんでした。
でも、今になって思うんですよ。あの職場での経験って今にプラスになってるなって。そして、アパレルのお客さんっていい人の割合が高かったなって。

また、勤務体系ですが接客業はどうしても個人のお客さん相手ですから、閉店後も遅くまで残る方が一定数いますので必然的にブラックになりがちなんですよね。これって解消しようと思うとインショップは無理で、路面店かつ強気な営業スタイルか理解のあるよい顧客ばかり相手にするという営業方針にしないとどうしようもないと思います。

このアパレルで学んだ経験は、服を畳むのがとても速く&上手くなりました(笑)
と、それはあまり重要ではなく苦手な事もしっかりとやればある程度は克服出来るもんだな、と体感する事が出来たのが一番の宝だったと思います。

結局、好きではない事だけでは仕事を続ける事は出来ない。
好きでは無い事を永遠に続けるのは不可能だと思っていたので、ある程度の所でこの会社を辞めることにしました。その際、「あなたが辞めるとほかの人のシフトがきつくなって迷惑をかけるけど、それでもいいの?自分で酷いと思わない?」と言われました。
実はそれまで結果を残したらブランド移動して下さいという話をして、良い回答を得ていたのですが結果を出してもそのまま。そんな対応をされてる中での上記の話でしたので「酷いのは約束を守らない会社です。よく考えて下さい、迷惑をかけるのは1ヶ月前から辞職のお話を出している私ではなく、人手不足の状況に陥る環境しか用意できていない会社です。また、私が残る事で私の人生のシフトに与える損失はどのように補償してくれるのですか?会社は今まで何をしてくれましたか?時給という回答はいりません。」と凄く生意気かつ喧嘩腰で反論したものです。
これ、将来的にブーメランで誰かからかえってきそうだな、怖い・・・(笑)

 

複数回の転職を繰り返す

という事で、ここから独立・・・の話にはまだなりません。
その後、短期間の間にいくつか職を替えました。理由は雇用契約が無茶苦茶だったから。
ひどい所は、完全週休二日制、業績に応じて昇給・インセンティブありの営業職だったので、入社と同時にロケットダッシュで結果出していたのですが、インセンティブつかず。部門全体の数字が悪いので土日も出勤にすると言い出したのでその話が出た即日に退社しました。

実はこの会社での経験が自分にとって凄く営業のスキルを高めるきっかけになったんです。周りと同じことをしてても結果は出せないという事と、何をするにも抜け穴を探してくること。そして、お客さんは裏切ってはダメで信頼を貯金していく事が最も重要という、今でも自分の営業活動の理念を形成する物となっています。

 

最後の転職

そして、最後の勤め人として入社した会社。ここは7年程勤める事となりました。
いわゆるザ・中小企業という所で社長がいて、二代目兄弟が30代にして役員という会社でした。
その二代目兄弟はそれぞれ性格が違うのですが、悪口になっちゃうのでサラっと特徴を言うと仕事をしないがドヤる、とにかくおれは偉いとドヤる。会社の金で遊びまくる。お前どんだけ新地いくんや・・・、なんていうよく見かけるパターンです。そんだけ偉いなら独立してくれと・・・。

その会社ですが、某携帯キャリアショップを運営しておりそこに配属される期間がありました。そこで感じた事は、いいお客さんも多いのですが、とんでもないお客さんがアパレルの時の比じゃないほど多い(笑)
人間ってこんな利己的で酷い事言えるんだなー、って心に大きな負荷をかけながら勉強させてもらいました。

地域の問題もあるかもしれませんが、はっきりいって携帯キャリアショップで対個人相手に仕事する事はお勧めしません。あれは人間を壊す職場です、本当。社内の人間じゃなく、お客さんが人間を壊しに来ます。私が勤めていた際も3人程再起不能になっていましたね。再起不能とまではいかないものの「もう、やめさせてほしい」というのをずっと引き止められて、結果耐えられなくなって飛ぶ、なんてのもよくありました。離職率凄く高かったです

ここで学んだのは、いかなる手段を使っても自分の利益のみを最大限追求する人が本当にいるというのと、どういう行動や傾向があるのかをしっかりと会得出来たことです。おかげで少々高い勉強代を払う事になりましたが。

そんなこんなで7年間、色んな形で結果を出してきた帝塚でしたが昇給があったのはたった一度だけでした。

 

そして、独立へ・・・

ここで私は思ったんです。
「世の中、会社やる資格がない人が会社やってるパターン凄く多いんやな」って。帝塚は読書が大好きなので色々と本を読むのですが、そこで形成された価値観は「会社は社会の公器でなければならない」です。ところが、「どこにもそんなところあらへんぞ」ってw
こりゃ、勤め続けてたら便利に使われて感謝されずにポイ捨てされて人生ゴミにするなと。

そして、働きながら書きためていた野望ノートを片手に、少ない給料の為貯蓄があまり出来なかった残高80万程度の口座通帳を見ながら、独立を決心し、辞表を書いたのでした(笑)
7年で貯蓄80万しかできてないってヤバくないですか?w
その80万も東京への引っ越しで殆ど残らなくなってしまい、失業保険を貰いながらなんとか生活し、個人事業主としてスタートする準備整えてと、最初はほんと綱渡りでした。この時の税金は本当辛かった。きちっと申請して免除してもらえるものはしてもらったけど、国民健康保険への恨みは絶対忘れない。
大阪の人、詳しくは言いませんが仕事辞めてすぐ東京へ来る事はお勧めしません。税金周りの免除の条件が違います。

そんなこんなで、個人事業主としてある程度落ち着いてきたのでやっと法人化という流れになるわけです。

 

独立は簡単でメリットも多いが、難しい事もリスクもある。

人には向き不向きがあります。
独立は個人的には良い物だと思っています。会社に不満があり文句ばかりいってたり、待遇がよくならなかったりすれば辞めて独立した方が相当有意義だとも思います。
但し、経営のリスクという物もあります。これを楽しめたり、失敗してもくじけない根性のある人じゃないと向いていないとも思えます。ただ、大手企業や優良企業じゃない限りは安定的な収入が~という考えは辞めたほうがいいです。会社は簡単に潰れます。特に今までのツケを払わないと行けない中小企業はかなりの数あるはずです。自分の会社の簡単でもいいので財務状況を見ておくことをお勧めします。
帝国データバンクを利用すれば、数百円で自分の会社の簡易な財務状況が見れます。そこで多くの人、特にブラック企業に勤めている人は気づくと思います。自社の自己資本比率の少なさに(笑)

という事で、独立か勤め人か、自分がどちらに属するか一度考えてみて下さい。
自分の行動の原動力となるものがしっかりと溜まっている方は、ぜひ一歩踏み出してみてください。

帝塚の原動力は「怒」「欲」「優」「楽」です。
今後も、この原動力をフルに燃やしつくして会社経営にいそしんでいきます!

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